いつ動くんだろう。|脳出血で動かない右手、期待と不安のリハビリ【第6話】
右手は、まだ動かなかった。
腕も、手首も、指も。
動かそうと思っても動かない。
毎日リハビリをしている。
だから、頭のどこかでは思っていた。
そのうち動くだろう、と。
でも、その「そのうち」がいつなのかは分からない。
このままずっと動かないんじゃないか
不安は、もちろんあった。
このまま右手がずっと動かなかったらどうしよう。
これから先、ずっと左手だけで生活するのか。
そんなことを考える。
でも不思議なもので、まったく逆のことも考えていた。
もしかしたら、すぐ動くんじゃないか。
ある日突然動き出して、思っているより早く元通りになるんじゃないか。
根拠なんてない。
右手は、まだ指一本動かない。
それでも、
「意外とすぐ戻るんじゃないか」
という期待があった。
ずっと動かないかもしれない。
すぐに元通りになるかもしれない。
その二つが、ずっと頭の中にあった。
鏡の中では、右手が動いていた
右手が動かない間、よくやっていたリハビリがある。
鏡を使う。
動く左手を鏡に映す。
鏡の位置を調整すると、左手ではなく、まるで右手が動いているように見える。
そこで左手を動かす。
グー。
パー。
グー。
パー。
鏡の中では、右手が動いている。
でも本当の右手は、鏡の裏にある。
そして、その右手を療法士さんが動かしてくれていた。
左手をグーにする。
鏡の裏では、療法士さんが右手の指を曲げてくれる。
左手をパーにする。
右手の指も開いてもらう。
グー。
パー。
グー。
パー。
目から入ってくるのは、
「右手が動いている」
という映像。
右手から入ってくるのは、
「指が動いている」
という感覚。
それを同時に脳へ送る。
自分は、そんなふうに考えていた。
脳に気づかせよう
「脳を騙そう」と思っていたわけではない。
むしろ逆だった。
脳に気づかせよう。
右手はこうやって動くんだ。
指を曲げるというのは、こういうことなんだ。
指を開くというのは、こういうことなんだ。
それをもう一度、脳に思い出してもらう。
そんなイメージだった。
第5話でやっていた、歯磨き粉のチューブも同じだ。
動かない右手の手のひらにチューブを置いて、握っているところを頭の中で想像する。
とにかく、イメージが大切だと思っていた。
しっかりイメージできれば、脳が右手へつながる道をもう一度作ってくれるんじゃないか。
もちろん、それが医学的にどうなのかは自分には分からない。
ただ、そのときの自分はそう考えていた。
だから毎日、
右手ばかり見ていた。
動け。
動け。
そう思いながら。
二年でもいい。でも、できれば早く
YouTubeで坂田さんの話を聞いていた。
坂田さんの動画に、リハビリをしている場面が出てきたわけではない。
本人が、自分の経験を言葉で説明していた。
その中で話していたのが、
イメージすることの大切さだった。
それを聞いたとき、
「やっぱりイメージなんだ」
と思った。
坂田さんは、長い時間をかけて回復している。
二年か。
二年かければ、なんとかなるかもしれない。
だったら、自分も二年かければいい。
そう考えると少し安心した。
でも、その一方で、
「いや、俺はもっと早く動くんじゃないか」
とも思っていた。
都合がいい。
でも、本当にそうだった。
二年でもいい。
でも、一か月でもいい。
明日でもいい。
できれば明日、動いてほしい。
鏡の中の右手は、毎日動いていた。
グー。
パー。
グー。
パー。
鏡の裏では、療法士さんが本当の右手を動かしてくれている。
目で見る。
右手で感じる。
そして、頭の中でイメージする。
脳に気づかせよう。
右手は、こうやって動くんだと。
本物の右手が自分の意思で動くのは、
明日か。
一か月後か。
二年後か。
まだ分からない。
それでも毎日、
右手ばかり見ていた。
前の話 → 第5話「動かない。それでも動かす。」
第1話から読む → 第1話「脳が壊れた日」
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