お先真っ暗
当初入院した急性期の病院での1週間は、ほとんどぼーと意識がしたまま過ごしていた。脳外科の集中治療室でいろいろなことが勃発していたと思うが、ただぼんやりとしていた。
1週間経つ頃には少し頭の中の霧が晴れて、目の前のことだけ見えるようになってきた。集中治療室内で実際に起こっていることが、少し分かり始めてきた。集中治療室では、安定しない患者さんがたくさんいて 本当にいろいろなことが起こっていた。
この頃の私の関心事は、うなされる変な夢を見たくないということと(内容はもう覚えてない)、大便が出てほしいという(点滴だけだったんで、大便が出そうな気がしないがその頃は非常に気にしていた。)、その二つぐらいだった。
脳や言語の状況だが、入院当初トイレに行こうと思ってナースコールで呼んでも言葉が口に出てこない。「あ」とか「う」とかしか出なかったので、初めのうちは看護師が言うことに対して、頷くとか首を振るとかで意思の疎通を行ったりしていた。次第に「トイレ」くらいの、単発の単語くらいは話せるようになった。1週間ぐらい経った頃には、文章では話せなかったものの、外国人が簡単な日本語の単語の羅列で拙い会話をするぐらいところまで回復できた。
そうは言っても、2週間目、3週間目と日が経つにつれて、拙いながらも文章として会話できるまでには回復した。
ちなみに、言葉が徐々に話せるようになっていった感覚としては、高血圧とそれに伴う気分の悪さが起こり、看護婦とかにどうにかしてほしいとお願いをしたりしていたが、その翌日にはすっきりとして、なんか脳の中身がカチッとはまったような感じがして、そのたびに言葉が少しずつ話せるようになっていった。
やはり脳みその神経がつながったりすることで負荷がかかって、高血圧や吐き気などの気持ちの悪さも起こるんだと勝手に思っていた。
脳の機能としては、簡易的な検査によって一応大きな障害は見受けられないと言われている。精密な検査をしたら何らかの障害が出てくる可能性はあるものの、一般的な生活を送る上においては、大きな支障がないくらいのことは言われていた。
とりあえず脳について大きな障害がないであろうと言われた時は、非常に安堵した。
なんとかこの脳がしっかりとしていれば、いろいろな仕事ができるという気持ちもあって、最低限ここが確保されたことは、非常に大きな気持ちの拠り所になった。
一方で身体的な状況だが、右手と右足は全く感覚がなく、動かなかった。自分の腕や足ではないような、体についているけれどついていないような、感覚的に動きそうなのに動かない。どうしてももどかしい気持ちを味わった。
言葉が喋れない時も、当然不自由は感じたが、手足はそれ以上に、ベッド上に寝たままか、椅子に座らせられたらそのままでいるしかないなど、突然自分の世界が非常に狭まったように感じた。
左手と左足だけであれば、ほとんどのことが自分でできないということに愕然とした。
何よりも最も気になるのは、もしこのまま治らなかった場合、一人暮らしの自分では生活自体が成り立たないであろうということ。
そのことを考えると、改めてお先真っ暗なように感じた。
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