第7話「ロボットじゃない。」
回復期病院でのリハビリが始まってから、毎日が訓練の繰り返しだった。
右手は相変わらず動かない。
腕も、指も。
病室では車椅子に座り、右手のひらに歯磨き粉のチューブを乗せて、握るところをイメージしていた。
「動け」
そう念じても、まだ何も起こらなかった。
絶対に治してやる。
でも、本当に治るのだろうか。
そんな気持ちを抱えながら、それでも毎日のリハビリを続けていた。
自分の足なのに、分からない
足のリハビリでは、装具をつけて歩く練習をしていた。
急性期病院にいた頃から、長下肢装具を使った歩行訓練は経験していた。
1周約100メートルの病棟を、1〜2周歩く。
ただし、自分の力で歩けていたわけではない。
理学療法士に背後から身体を抱えるように支えてもらい、療法士の力で身体や足を動かしてもらっていた。
それでも、まったく動かない足で歩く練習ができることには意味があると思っていた。
回復期病院に移ってからも、歩くための訓練を続けていた。
でも、右足は自分の思うようには動かない。
それだけではなかった。
右足の感覚も、ほとんど分からなかった。
自分の足が今どんな状態なのか。
どこにあるのか。
どうなっているのか。
目で見て確認しないと、よく分からない。
まるで、自分の身体なのに、自分の身体ではないようだった。
私はどこか、ロボットのような感覚でいた。
ほんの小さな感覚
7月12日。
その日、療法士に足の感覚を確認してもらっていた。
私はそれまで、右足には感覚がないと思っていた。
だから、正直なところ、あまり注意深く確かめていなかった。
でも、よくよく意識してみると、あることに気づいた。
療法士は、左右の足を同じタイミングで触って、感覚を比較させようとしていた。
左足は健常な側なので、触られれば当然、はっきり分かる。
一方、右足はほとんど何も感じない。
そう思っていた。
ところが、左右を同じタイミングで触られていると、どうしても感覚の強い左足の方に意識が向いてしまう。
右足の感覚が、左足の感覚に紛れてしまっているのではないか。
そこで、右足だけを触ってもらった。
左足とは別にして、右足の感覚だけを確かめる。
そして、注意深く意識を向けてみた。
すると。
ほんの、ほんのわずかだった。
でも、確かに触られていることが分かった。
あれ? 感覚がある。
左足のようにはっきりした感覚ではない。
気を抜けば分からなくなってしまいそうな、本当に小さな感覚だった。
それでも、触られていることを認識できた。
今まで何も感じないと思っていた右足に、感覚があった。
そのことに、初めて自分で気づいた。
ロボットじゃない。
その瞬間、不思議な気持ちになった。
今までは、自分の右足がどうなっているのか、目で確認しなければ分からなかった。
目で見て、状況を判断する。
そうしないと、自分の身体の状態が分からない。
まるでロボットのようだった。
でも、今は違う。
目で見なくても、右足に触れられていることが、ほんの少しだけ分かる。
自分の身体から、感覚が伝わってくる。
ああ、自分はロボットじゃない。
そんな気がした。
人間に戻った。
いや、正確には、人間に戻りつつある。
そういう感覚だった。
もちろん、右足が自由に動くようになったわけではない。
歩けるようになったわけでもない。
左足と同じように感じられるようになったわけでもない。
それまで気づいていなかった小さな感覚を、ようやく自分で認識できただけなのかもしれない。
でも、私にとっては大きな発見だった。
自分の身体が、少しずつ自分のものに戻ってきている。
そう思えた。
小さな変化でも、確かな希望
第4話で、私は最終目標を高く設定したいと書いた。
ギターを弾きたい。
ロードバイクに乗りたい。
ゴルフをしたい。
車を運転したい。
以前と同じような生活に戻りたい。
でも、現実にはまだ、右手も右足も思うようには動かなかった。
目標までの道のりは、あまりにも遠い。
そんな中で、今回の発見は小さな希望になった。
右足には、感覚がある。
今まで分からなかったことが、一つ分かった。
それだけのことかもしれない。
でも、昨日まで何もないと思っていたところに、ほんのわずかな変化を見つけられた。
それが嬉しかった。
リハビリは、こういう小さな変化を積み重ねていくものなのかもしれない。
もちろん、この先どうなるかは分からない。
右手は、まだ動かない。
指も、まだ動かない。
それでも、右足には感覚があった。
自分の身体は、まだ変わるかもしれない。
そう思えた7月12日だった。
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